鈍いから反応しない

ブログの更新は常ならず

貧すれば鈍すとは貧乏すれば知恵まで回らなくなる事と言われる。
感性が鈍くなったら知恵も回らなくなるんじゃなかろうか。
更新出来ないのは頭が貧乏になって知恵回らず、加えて感性が鈍くなるし反応も悪いよね。
感性豊かな人は幸せだ、とは言い過ぎかも知れないが気配りのできる人が多いように思いますね。
その理由は物事に注視して思い巡らし予測できるからじゃなかろうか、だから豊かな感性は刺激に敏感とも言えそうな気がしてます。
気配りと言えば新聞にこんな読書の投票がありました。
AIのレベルが上がってきたら人間の仕事を奪われることを心配する旨の意見があり、それに賛否両論が載っていた。
私だったら、「AIってすごいんだ!」ぐらいにしか感じなかったが、言われてみればなるほどねと感心させられもした。
このように一つの事象から深掘りして考えると沢山の考え方につながると思い知らされた。

感じ取る力

たかがまるっきり注目されたことが無いブログでは更新で悩むことはないと思えてきた。
このブログ、誰にも迷惑をかけていないでしょ。
もちろん、参考にもされた実績もありません。
だったら、もっと気楽に感じたことを書けば良いんでしょう。
でも、感じたことってそうは見つからないんですよね。
問題意識と言うほどのレベルではないが、何かを題材にしようとするば感受性の問題に繋がっちゃうんだな。
外にいてアリが動いているのを見て何かに繋げられるか?
空を見上げて雲があったと言って発展させられますか?
今朝毛虫が這っているのを見た。もちろん殺処分しました。これを題材にできれば気楽なもんだ。
問題意識と興味を持って見つめることの能力みたいなもんがないからヤッパリ駄目だ。
刺激を刺激と感じなくなるんですよね。
チョットつねられても痛みを感じる時間が遅れるのも同じような理由でしょうか。
鈍いやつだ、とね。
大男総身に知恵の回りかね

年寄りは鈍い?

鈍いとは人の気持ちも察することが出来ない人を指すこともあるようです。
思いやりが必要だと分かっていても、経験からだけでは判断できず、新たな風潮を受け止めきれずトンチンカンな受け答えで終わることもあります。
さらに、歳を取ると新しいものを受け入れられなくなったり、取り入れようとしても時間がかかって諦めたりする。
そんな時、「歳は取りたくないよね」とののしられる。
そうこう愚痴ばかりをこぼしていては更新作業は捗りませんって。
新陳代謝って単語あります。
生き続けるために新しいものを取り入れ、古いものを排出する。
ブログを続けるためには何でもないことを、さも必要だと考えることによって続けられるのかも知れない。
ブログを更新するために新聞ネタから入ったまでは良かったんだけど、続けられなかった点が能力の低さだ。
相変わらず中途半端な話で納得いかないな。
このサイトに来てくれたあなたには申し訳無い。
もう少し頑張っペ。
七転び八起き

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