クリスマスらしい

暮れもそろそろ

越年資金をつごうしに街へと出かけてきた。 近道としてデパートをすり抜けようとしたら、何やらメロディが聞こえてきた。 近寄ってみると私達がいる1階の通路から見下ろすように、地下1階相当にステージが見えた。 ステージでは、どうやら高校生か中学生らしき一団が奏でていた。 コンサートをやっているようだ。聴衆もステージ前の椅子席で鑑賞している様子がうかがえた。 しばし、お仲間に入れてもらって一緒に聞き惚れていた。 私でも知っているようなメロディも演奏され、つかの間の幸せな気分を味わった。 この話、昨日アップしたつもりが下書きのままでした。ピンボケだよね

世相

クリスマスを意識したらしい音楽会を後にすれば、商店街ではセールで呼び込みが盛んだった。 似非(えせ)仏教徒としてはこんな騒ぎには関知しない。 何のことはない商業ベースに踊ろされているだけど思っちゃう。 クリスマスとはお祭りとしてなのか、宗教儀式としてなのか、よく分からなくなっちゃってます。 例えば、少し前に終えたハロウインとか、2ヶ月後に騒ぐバレンタインデーは我が国では完全な商業ベースに乗せられていると思うがどうだろう? 似非仏教徒として省みると、4月のお釈迦様の誕生日の花祭は、多くの人は見向きもしない現実を思い出す。 小生も同じ花祭無関心組が、日本古来の儀式と外来の儀式の比較しても意味ないよね。 いずれも宗教がらみだったはずが、その趣は薄れているんでしょう。

似て非なる

似非と書きましたが、「えせ」なる意味は「似ているが本物ではない」と解説されていました。 私は似非仏教徒と言いましたが、この解釈で言えば「えせ」にもなれない不心得者と言うべきでしょう。 なぜなら、墓参りとか仏壇に線香をあげるとか、こんな程度では「えせ」とすらも言えない。 周りというより世間様と言い換えるべきでしょうが、調子を合わせているだけでまるっきり信心のかけらもないんだからしょうがないか。 春秋のお彼岸とかお盆の時期になると墓や仏壇に手を合わせるだけでも良しとしましょう。 本音は世間のしきたりと調子を合わせているだけですけどね。 鵜のまねをするカラスとならぬよう身の程をわきまえるよう心がけます。

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