天の邪鬼

現実だった

昨日は毎度の病院通い。
会計の待合室でテレビの放映がされていた。
映像は大阪で地震とテロップが流されていた。
てっきり阪神淡路大地震の教訓でも流されているものと思った。
ちょっとしてから又テレビを見たらどうも様子が変だと気づいた。
今日の出来事だと理解できたのも、そう時間はかからなかった。
帰宅後すぐに奈良の兄貴に電話した。
大阪と奈良では隣県だしそう遠くはない。
電話口に出た兄の話では被害はなかったとの事、まず一安心。

運否天賦

小学校の児童が登校中にブロック塀の下敷きで亡くなられた由、加えて私とさして歳の違わない方も天に召されたとのこと。
運否天賦(うんぷてんぷ)という言葉が口からついて出た。
こんな一言で済ませられないが、タッチの差で難にあったり助かったりするのは運としか思えない。
私の場合だったら、災難にあった、運が無かったで済みますが、孫の年頃の子だったと思うと不憫です。
もう10秒早かったら遅く通っていたらと、思うのは誰しも感じることでしょう。
口には出さなくても期待してたでしょうね、思い入れもあったでしょう。
他人の私ごときでは図り切れないことです。

自分の考え

天災は忘れた頃にやってくる、こんな言葉もあります。
忘れているわけではないでしょう。
思い出すのが怖かったり、俺は大丈夫と思いたがっている。
避けて通れるものならとの思いを重ねる。
これは己が天災の備えをしてない言い訳だ。
事が起きたら素早い行動が取れる自信もないので、避難訓練もやっても無駄と決めつけている。
考え方がまるっきりなってない、あー言えばこー言うほうの口だ。
こんな私では天罰も容赦ないでしょうね。

備えあれば憂いなし
あらゆることに備えるのは・・・とは言い訳だらけ。
わざと逆らって助けをけなすのは、アマノジャクっぽい。

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