早合点

待ちぼうけ

こんな童謡がありました。
今朝も女の子が踏切のそばで待ってます。
球技大会があるそうで、昨年の暮れから朝練のためにいつもり30分ほど早く登校です。
私がウォーキングを終えて帰宅途中でいつも会う子がコノ子。
名前も知りません。
一度話しかけたことがあります。
「もう6時55分だよ。間に合うの?」
「だいじょうぶです」
たったこれだけ。
この子が友達と待ち合わせて登校するらしいことは様子で分かります。
いつも待っているのはこの子。
老婆心ながら待っていないでさっさと行きなさい、そんな思いがあったから遅れないようにと注意をうながしたつもりで声かけしました。

どちらが良いのか

待つ身のつらさ、待たせる人の思い、どんな思いでいるんだろうか。
待たせる子がどんな子か見たことはありません。
私は見届けることをせずに通りすぎてゆきます。
待っている子は気の毒だよねーと思うのはその場限り。
待つ身と待たせる身でどちらを選びますか。
待たされている子が待つことを嫌がっていないだったら取り越し苦労。
世の中、常に受け身で過ごす人と、もっぱら働きかけとか依頼・指示する側に立つ人といるようだ。
どちらが良いとか悪いの問題ではなく、両方の役割があったほうがスムースに運ぶことが多いでしょう。
指示を受けることに慣れてしまった人、出す側に立つ位置とする人。
受け身の人はどちらかと言えばおとなしく聞く側に立ってトラブルを避けようとするのかな。
反面、働きかけが多い人は自己主張が強く出るほうかも知れない。
自分の意見を堂々と言えるようなったら受け身一方とはならないでしょう。
自己主張型の人は他人の意見を聞き入れる度量が備われば鬼に金棒かな。
この子たちの生き方はこれからだ。
いまはその発展途上にあるんだ。
それにも関わらず、ひがみからこんな観察が生まれたのかも知れません。

人は支えあって生きてゆくんだと聞いたことがあった。
もしかしたら待っている子は、待たせている子を支える側に立っているのかも知れません。
一見しただけで判断するのも危険ですね、年寄りの早合点だったらゴメンだ。
古希を過ぎた老人としては思慮分別に欠けた見方だったかも知れません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました