転勤の思い出

何か発信できないかしら。
そう思いながら書き始めました。
昨日は何をした?
今朝歩いていて目新しいこと見つけられたか?
ナッシング、これでは投稿できそうもない。
何を書けばいいのかって検索してみよう、故郷をテーマにしたらって、あったよ。
故郷にこだわらずに転勤先の話だったら少しは書ける事がありそうだ。

博多は私にとって最初の転勤先。
ここで長女が生まれました。
朝女房が病院へと言われ、車で送っていって、そのまま車で出社。
川端沿いの道に駐車した。
このままでは駐禁になっちゃうので、海辺の倉庫へ仕事を作って移動した。
事務所から電話があって、出産の知らせ。
無事出産のお礼に、令和で再び有名になった太宰府天満宮へ行きました。
当時は学問の神様で有名な神社、程度の知識しかありませんでしたけどね。
今じゃ改元のお陰で賑わいが増しているんでしょう。

女房と二人で赴任して、次の転勤先へは娘と3人で岐阜行きでした。
岐阜での思い出は何と言っても長良川の鵜飼を屋形船で見学。
それより強烈な思い出は長良川の決壊だ。
時期をはっきりと憶えていないので調べたら、昭和51年9月のことだった。
社宅扱いのアパートまでは、洪水も上げっては来なかったが、チョット下った地域の道路は膝まで溢れて歩くのにも苦労したことを思い出した。
その後が大変だったね。
納めた機械が水浸しになって交換作業に全員で当たっただけでなく、名古屋からも応援してもらっての対応だった。
水の引いた後でも泥臭さが鼻について往生したっけ。

岐阜から千葉へは息子が仲間となって4人で移動しました。
転勤すると家族が増える。
だから次の転勤先大阪には単身で移動しました。
その次は東京の練馬でここも単身異動。
本流に乗っていればここまで地方勤めはしなくて済んだのかも。
傍流の悲しさですね。
実力がなければ干されるのはやむを得ないさ、悔しさまぎれにほざいても始まらないって。
ごまめの歯ぎしり

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